映画感想:『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』「脚本の改変が光る1989年公開作品のリメイク版。変更点がとても上手いので、旧版を見たことがある方はぜひご視聴あれ」

藤子・F・不二雄作品感想
03 /31 2016
『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』
感想書いていなかったのでさらりと書いておきます。

1989年に公開された『ドラえもん のび太の日本誕生』のリメイク版。
今回のは手放しで「面白い!」と褒めることが出来た。
むしろ、旧作よりも今回のリメイク後の方が好みだったと言っても良い。。

まずは、覚えている範囲で変更点をまとめてみる。
ネタバレ全開ですので、未視聴の方はご注意を。


・6万と1年前のギャグがカット。
・7万年前に行ったときにタイムマシンをドンブラ粉で沈める。
・しずかちゃんの想像に対して「少女趣味」といった反応がなくなる。
・襲ってくる動物がサイみたいなのからバイソンに変更。
・「ここから僕の土地」がのび太からではなくスネ夫から言い出す。
・柔らかい土の例えがプリンから豆腐に。
・のび太が二本の木がねじれて組み合わさっているところから動物の遺伝子を組み合わせることを思いつく。
・スネ夫の「大根飯だけどね」の台詞がカット。
・大根丸かじりあたりのやりとりが変更。
・家出関係の話とのび太のママとパパの描写の追加。
・3時間だけ家出を言い出すのがしずかちゃんに変更。
・襲ってくる動物がワニからオオサンショウウオになっている。
・ドラえもんがハムスター相手にご乱心。
・ほんやくこんにゃくがお味噌味から醤油味に変更。
・富士山の近くで休憩追加。
・ヒカリ族の宴が丸々カット。その代わり、住むところを整える描写が増加。
・マンモスを追い詰める場所を崖下からぬかるみに変更。
・ツチダマがギガゾンビに破壊される。

 このあと、再びクラヤミ族に攫われたひかり族を助けに行くところから大きくオリジナル展開になる。

・マンモス(TP)による救助を丸々カット。その後の展開も大幅に変更。
・遭難中にのび太が見る幻覚が裁判風のものから家出関係のものに変更。
・ギガゾンビ、ククル、ヒカリ族の出番増加。


今回は上手いリメイクのお手本という内容だったな。
家出という、現在だと冗談ですまないような題材を扱っているためか、心配する家族の描写を増やしたのは納得といったところ。

その点以外にも、終盤の展開を変えたのは大成功でしょう。
旧作では、タイムパトロールの解決が唐突すぎたり、ギガゾンビが一気に小物になるなどあまり褒められなかったものを、ドラえもんたちとヒカリ族の協力によって解決するようになっていた。

上手いのは、ちゃんと解決のための伏線も張っていたところ。
ギガゾンビが操る巨大な像を破壊するために、ククルが「マンモスはぬかるみに落として動きを止めた」と教えてくれたおかげでドンブラ粉を使い動きを止めてから倒すことを思いつくと、ちゃんと視聴者に解決策を提示している。

それ以外にも、ドラえもんにヒカリ族には必要以上の手助けをしないで文明の進歩を見守るようなことを言わせておいて、それがギガゾンビを倒す方法に繋がるなど伏線の扱い方が見事。

下手なリメイクだと解決策を変えようとして伏線を入れ忘れたり、突然設定が生えたりするのに上手く脚本に落とし込んでいた。
これは、新しくなったドラ映画の中で一番面白かったなあ。

最後には防寒具を来たドラえもんが氷の上(氷の下には都市?)に立っている姿でまた来年と言っておしまい。


――――――――――
感想リンク。
『ドラえもん のび太の大魔境 』感想。
『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』感想。
『ドラえもん のび太と奇跡の島 ~アニマル アドベンチャー~』感想。
『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』感想。
『ドラえもん 新・のび太の大魔境 ~ペコと5人の探検隊~』感想。
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ドラマ感想:『世にも奇妙な物語 14』『未来ドロボウ』感想。「原作と比較すると、どうしても改悪といわざるを得ない」

藤子・F・不二雄作品感想
10 /21 2014


『世にも奇妙な物語』にて、藤子・F・不二雄原作の傑作短編『未来ドロボウ』が放送されました。
ちょっと、今回はとても頭にきています。
実写化による改変という怒りは何度も経験したことがあるとはいえ、藤子・F・不二雄好きとしては、このドラマの設定の変更には看過できませんでした。

役者の演技の方向性も好みとは非常にかけ離れていたものだったのですが、
(酒に酔っているとはいえ、目上の相手に失礼な口聞きすぎでしょう)
それよりも何よりも、原作で用意された完璧とも言える設定をことごとくぶち壊しにした脚本、演出にはどのような言葉を持ってしても責めたりません。
今回は、どのように設定が変えられたのか、またなぜ変えてはいけなかったのかという部分に批難の目を向けたいと思います。

なお、『未来ドロボウ』のあらすじについては、稚拙ながら過去に書いたものがありますのでよろしければご参照ください(リンク

まず、原作とドラマ版の相違点から書いていきましょう。
原作では、老人の余命は半年。ドラマ版ではひと月となっています。
すでにこの段階でかなりのものですけど、まだ序の口です。

原作では、主人公は高校受験を控えた中学生で、ドラマでは大学生でした。就職先が見つからず焦っているので、おそらくは四回生なのでしょう。

主人公の年齢を大学生にしたのは、大きな失敗と言うしかないでしょう。
『未来ドロボウ』という作品は、時間はあるがすべての可能性をつぶしている少年と、あらゆる可能性に挑戦できるが時間だけが存在しない老人という対比が最大の見所です。

原作では、主人公は中学生という若さでありながら、人生とはよい会社に入り出世して大金持ちになることがすべてと考える少年でした。
その目的のために大好きな野球や犬と遊ぶことも止め、友人とおしゃべりして歩く時間すら惜しんでせっせかと勉強に励んでいます。

そうやって、あらゆる娯楽、言ってしまえば欲望や可能性をすべて排除して勉強に打ち込んでいたのに、親の勤める工場が倒産してしまったので自分の努力、いや、人生そのものが否定されるという絶望を味わいました。
その絶望ゆえに、老人による人生の交換という契約に乗ったのですね。

これがドラマ版では、主人公は就職先が見つからない大学生という設定に変わっていました。原作ではたんなる友達でしかなかった女性も、こちらでは恋人のように描写されています。
内定先が見つからないことと恋人に振られたという二重のショックを受け、酒に酔った勢いで自殺しようとしているところを老人に声を掛けられた、というのがドラマ版の展開です。

ドラマ版の設定は、言うなれば自業自得による失敗でしかありません。原作のように、自分とはまったく無関係な要素によって人生設計が狂わされることとでは絶望の質が大きく異なります。
金がないゆえに人生を狂わされた主人公だからこそ、使っても使い切れないほどの金と人生を交換してみないかという誘いに乗ったのでしょう。

なお、原作では主人公は人生の交換を記憶の交換だと考えていなかったので、単純に契約すれば金が手に入るだけだと考えている節があります。自分の将来に目を向けているのですね。このあたりも、死を選ぼうとしたドラマ版の主人公と大きく異なります。

人生を交換してからのドラマ版の描写には、目を覆いたくなるばかりです。
原作では、主人公は自らの選択の誤りに後悔し、どのような娯楽を味わうことも出来なくなっていました。何より、遊ぼうとしても体の不調がそれを許しません。
一方、ドラマ版では言われたとおりにありあまる金で酒と女という、ちっぽけな快楽を味わいます。

このあたりも、中学生と大学生という差が出ているように感じられますね。
すでに酒の味も恋愛も知っている大学生ならば、金があれば悪い遊びも出来るが、中学生ではそうもいかない。
原作における、遊ぶということがどういうことなのかすら想像できないほど可能性を閉ざしていた主人公だからこそ、彼の選択がどれほど誤ったことだったのかが浮き彫りになるのでしょう。

原作では、ただただ目の前の状況に絶望して寝入っていた少年という描写だっただけに、享楽的なドラマ版の主人公には欠片も好感が抱けませんでしたね。
内定が取れない苛立ちを周囲にぶつけたり恋人との不和の描写とあわせると、とても応援したいような人物には思えません。

老人に対する執事の対応にも疑問が残ります。
原作では、老人はすでにあらゆる快楽よりも大切な何かがあるのではないかという疑問を抱いたからこそ、記憶の交換を行おうとしていました。
原作で執事が娯楽を薦めるのは、記憶の交換を行ってからです。巨万の富を手に入れたばかりの少年のためを思っての行動ですね。

それなのに、ドラマ版では老人その人にあらゆる娯楽を薦めています。それどころか、老人のほうから金にあかしてあらゆる快楽をむさぼりつくそうと計画していました。
これは、その後に用意された若さのほうが素晴らしいという主旨の台詞を際立たせるためのやりとりなのでしょうが、それにしてもうそ臭さと説教臭さが鼻についてなりません。
そうやって設定を変更したくせに、あえて余命をひと月まで短くしたことにも疑問が残ります。

老人の行動にしても、違和感しか生まれません。
ドラマ版では、老人は主人公に「財産か未来」とふたつのうちどちらを選ぶか選択させています。
一方の原作では、老人は半ば騙す形で主人公と契約してその人生を奪います。そして、若さというのを数十年ぶりに味わい、自分がどれだけ悪辣なことをしたのか悔い、主人公に人生を返しました。

主人公が若さの素晴らしさを理解すると同時に、老人もまた自らの過ちに気づいたのですね。
これは、ドラマ版のような若者を導こうとする行動(悪く言えば、神気分で他人の人生を弄ぶような行動)とは大きく異なります。

ふたりは教師と教え子という上下関係ではなく、どちらも今の自分の時間を必死に生きる人間でしかない。
そういう、老人の中にある人生も垣間見えるような気配りもまた、原作の素晴らしいところです。

しかし、ドラマ版ではそういった細かな気配りがすべてスポイルされ、ただただ主人公、そして視聴者にテーマを見せびらかすだけな構成になっていました。
このドラマ版からは「若いとは素晴らしいことだ」という、聞こえのよい言葉を視聴者に押し付けるだけの意図しか感じられません。
日本のドラマや映画ではよくあることですが、自分はそういった展開に感銘も感動も味わったことがなく、白けるものしか感じません。皮肉と侮蔑と嘲笑を込めて、感動の押し売りとまで呼んでいるくらいですから。

感動の押し売りという面から見ても、ドラマ版は稚拙な脚本としか言いようがないでしょう。
原作に存在しない、
「どうせ死ぬのだから人生なんて無駄ではないか」
という主人公の言葉を追加しておきながら、老人にそれを論破させずに、抱きしめるだけで強引に話を進めていきます。

はたして、脚本家はどのような意図でこの台詞を挿入したのでしょうか? 
主人公にそこまでの絶望を味あわせて起きながら、なぜ、真正面から解決しようとしないのでしょうか?
彼の感じた人生の無意味さは、どのようにして払拭されたのでしょうか?
主人公は本当に、人生に対する考えを変えることが出来たのでしょうか?

そういった答えるべき答えをすべて放り投げ、
「若いということは想像以上にすばらしい、すばらしすぎるんだ!!」
という原作から引き写しただけの言葉でお綺麗に飾るところは、嫌悪感すら覚えます。
ドラマとしての完成度や前後の展開や台詞の意味などをすべて投げ捨てるつもりがあるのなら、なぜ、原作そのままに描こうという姿勢を見せられないのでしょうか?

なお、ときおり、
「実写化したときには必ず、新しい視聴者が増える。だから、原作と違うからと怒り狂うのは間違っている」
というような意見がありますけど、この言葉を口に出すときは注意して欲しいものです。この言葉は、設定を変えることの理由にはならないのですから。

たしかに、媒体が変われば新しい視聴者が生まれることは否定しませんが、それはあくまでも結果論でしかないでしょう。
設定を変えたからこそ視聴者が増えたのか、設定を変えたからこそ視聴者によりわかりやすく受け入れられたのかは放送してみなければわかりません。
原作そのままの設定で放送しようが、媒体が変われば新しい視聴者が生まれるのは当然なのですから、原作どおりに放送しても問題はないはずです。設定を変える絶対的な理由にはならないでしょう。

とくにこの『未来ドロボウ』は特殊な設定も映像化が困難な部分も何もない作品なので、なおさらそう思うのでしょう。
原作への敬意も配慮も欠けた、よくわからない都合が働いたようにしか思えません。

同時期に放送した『走る取的』は原作そのままの不条理ホラー(もしくはシュールギャグ)として高い最限度を誇っていたのに、どうして『未来ドロボウ』はこうなってしまったのでしょうか。疑問でなりません。

原作にあったテーマ、美点などをすべて破壊してのけた、存在することすら許されないような実写版『未来ドロボウ』
二度と、このような改悪としか言えない作品が生み出されないことを願います。

『ドラえもん のび太の大魔境』感想。「感動なんてのは、与えられるものではなく感じるもの」

藤子・F・不二雄作品感想
04 /08 2014


リメイク版の『大魔境』を劇場で観てきたので、ついでに旧版の感想も書いてみます。
古い作品ということもあり、ネタバレ込みの感想なのでご注意を。

大長編ドラえもん第三作目のこの『大魔境』は、挿入歌がとても有名な作品でしょう。
終盤でドラえもんたちが巨神像に向かうとき、敵の爆撃を受けながらジャイアンがペコのあとを追いかけて全員が集まっていくあのシーンです。

挿入歌の『だからみんなで』が名曲なのは言うまでもないことですが、特筆すべきなのはそこまでの流れでしょう。
単にジャイアンがペコを助けようとするだけではなく、そこに至るまでの展開に納得を与えるためにジャイアンの挫折とペコの関係をさりげなく描いていたのが非常に上手い作品です。

ジャイアンといえば、乱暴者なガキ大将の代名詞というイメージが定着していますが、じつは他人まかせな上に口先だけなところがかなりあるんですよね。

のび太やスネ夫相手にはいばるものの、けっきょく冒険や旅行に行くためにはドラえもんやスネ夫の助けを借りなければならない。
腕力が自慢に思えても、かあちゃんにも勝てないし隣町のガキ大将にすら負けるという『同級生の中ではかなり強い』だけな、ごくごく普通の子供でしかありません。

そのことは、この『大魔境』でも強調されています。
ジャイアンは夢にまで見た冒険に出たのに、そこに待ち受けていたのは自分の思い通りにならない仲間たちだったり、自慢の力が役に立たないというつまらない現実でしかありませんでした。

そのため一度はふてくされて冒険をやめたものの、ペコの思惑も手伝って再びアフリカに行くことになります。
しかし、そのせいでどこでもドアが壊れて日本に帰れなくなってしまいました。

ここから続く、ジャイアンの挫折と孤独の描き方はとても丁寧なものとなっています。
いつもは腕力に物を言わせてこづいているスネ夫にさえ、
「だれかさんのせいでこんなことに」
とあてこすりをされても、殴ることも反論することも出来ない。
それが事実なのだし、何より、腕力では勝てない状況もあるという現実を突きつけられたあとなのですからこの反応は当然でしょう。

そうやって誰にも頼ることが出来なくなり、たったひとり部屋の中で涙を流すジャイアンを慰めたのがペコでした。
相手が人間ではなく、普通の犬だと思っていたからこそジャイアンは弱さを見せることが出来たのでしょう。

この作品の序盤では、ペコもまたジャイアンと同じように誰にも相談できない孤独を味わいました。
そのあたりもジャイアンとの対比になっているのですが、ペコは他のみんながどうしようもない危機に陥ったときは身を引こうとしました。そこが、ジャイアンとの違いです。
そして、そのペコの危機を一番最初に救おうとしたのがジャイアンであり、その行動が全員が集まるきっかけになりました。

この展開の上手いところは、ペコの行動がジャイアンの間違いを正すようになっているからでしょう。
自分勝手な気持ちでみんなを危険な冒険に導いてしまい、どうしようもなくなったジャイアンは背中を向けてしまった。
ペコも同じように危険な冒険に五人を誘ったものの、どうしようもなくなったときは他のみんなを助けようとした。

ジャイアンは目を背け、ペコは立ち向かおうとした。
一度は間違った選択をしてしまったジャイアンが正しい答えに辿りついたということを、言葉ではなく行動で示した。

この『大魔境』は、徹頭徹尾ジャイアンが主人公の物語なんですよね。
最初にペコと出会ったのはのび太ではあるものの、作品のそこかしこでスポットライトが当てられ、ペコと対比されているのはジャイアンでした。そして、ペコが一番大変なときに彼を助けたのもジャイアンでした。

このペコを追いかけるまでの一連の流れは、挿入歌である『だからみんなで』の歌詞、

「だからぼくは弱虫なんだ 泣いてるきみに何もできない」
「だって僕の力なんか 全部出してもこれだけなんだ」
「そうだきみも探してくれないか 心の中の少しの勇気を」
「だって僕ときみのをあわせたら 勇気が少し大きくなったろう」

と見事に合致した名場面と言えるでしょう。
孤独だったペコを救ったのはのび太であり、そのペコがジャイアンを救う。そしてジャイアンがペコを救い、誰が欠けても成立しなかった解決策にたどり着いた。
作品の内容と歌がとても一致した、まさに主題歌の鑑です。

ジャイアンが主人公という部分を前面に押し出さず、あくまでも中心をのび太とドラえもん、ゲストとひみつ道具という見せ方にしながらちゃんとジャイアンやしずかちゃんの見せ場もある。
やろうと思えばいくらでもジャイアンを中心にして物語を膨らませることが出来るだろうに、ドラえもんたち五人を中心にした物語になっている。

藤子・F・不二雄先生存命時の大長編ドラえもんが好きなのは、こういう部分なんですよね。
だれもが単なる子供であり、同い年の同級生でしかなく、全員が全員主人公である。

だから、ちょっとしたことでのび太はスネ夫になることもあるし(原作『ぼくよりダメなやつがきた』参照)ジャイアンもまた、のび太のようないくじなしになってしまう。
だれもがだれも、道具がなければなにもできない子供でしかない、とても人間くさいキャラクターでしょう。

最近の作品も面白いことは面白いのですが、『緑の巨人伝』のようにのび太とゲストを中心にした話にしてしまうと、それは『ドラえもん』ではなく『ポケットモンスター』などの別の子供向け映画に思えてなりません。
「彼らとゲスト」ではなく「主人公とゲスト」、「道具を使うただの子供たちの話し」ではなく、「特別な子供たちの話し」になってしまいますから。

同じような理由で、リメイク版の『鉄人兵団』もあまり好みではない作品になっていましたね。
リメイク版だと、妙にのび太とピッポの関係が前面に押し出されていましたから。
(もっとも、この作品はそれ以外にも不満点が多かったのですが)

個人的に、感動というのは言葉にしたりベタベタと押し付けるものではなく、この旧版『大魔境』のように視聴者が観て想像し、行動の意味を理解してからやっと気づくものだと思っています。

作品全体に感動できる要素をちりばめてはいるものの、ただの子供向け娯楽作品ですといった感じでさらりと流す。
藤子・F・不二雄先生の作品が好きなのは、このさりげなさがとても上手いからです。
感動なんていうのは、与えられるものではなく感じるもの。それを教えてくれるような作風ですから。

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感想リンク。
『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』感想。
『ドラえもん のび太と奇跡の島 ~アニマル アドベンチャー~』感想。
『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』感想。
『ドラえもん 新・のび太の大魔境 ~ペコと5人の探検隊~』感想。
『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』感想。

『ドラえもん 新・のび太の大魔境 ~ペコと5人の探検隊~』感想。「95%以上リメイク前と同じ」

藤子・F・不二雄作品感想
04 /05 2014


追記:旧版の感想も書きました。(感想リンク

観てきました。リメイク版『のび太の大魔境』
今回は、まさにリメイクといった内容だったね。
新解釈や新要素をまーったく加えず(それどころか、台詞もほとんど変えず)ただ新しいスタッフで作ったというだけの作品だった。

元の映画は最低でも3、40回は見ているので、劇場ではほとんど間違い探しを楽しむ感覚で見ていたな。
名作のリメイクなだけにお話の面白さは申し分ないんだけど、正直なところ物足りなさもけっこうある。

元々完成度が非常に高い作品だったので、下手に手を加えるよりはよかったと思うけど、ここまで新鮮味がないってのもちょっと、ね。
挿入歌のタイミングまで同じなのに、歌そのものは違うなど見ていて不思議な違和感を覚えたし。

すでに元の作品を見ている人は、おそらく何も新しい発見はないでしょうし、新しい面白さも手に入らないとは思いますが、変なリメイクよりはよっぽど正解なのかな。
(個人的に、リメイク版は結末あたりをちょっと変えた『恐竜』はOKで、『魔界大冒険」が一番のダメダメだったかな)

ちなみに、今回のリメイク版で一番驚いたのはアフリカ原住民たちのシーンがカットされなかったこと。
今日の映像で、黒人が焚き火を囲んで太鼓を鳴らして、槍持ってドラえもんたちを追い掛け回す場面が見れるとは思っていなかったので笑いを堪えるのが大変だった。


以下、気づいた変更点などを箇条書き。
・元の作品で「ドラえも~ん」と叫んでいないので、リメイク版でもなし。
・元の作品は春休み。リメイクは夏休み。
・衛星カメラでアフリカ大陸を撮影するときに「緯度をずらして」という台詞の追加。
・ペコに「お手」「ちんちん」をさせようとするシーンをカット。
・のび太のママがバッグをなくす理由をちょっと追加。
(元の作品は、転んで落としただけ。リメイクでは、火事の野次馬に押されたから)
・ドアを壊すのがワニから神成さんに変更。
・夜中に不気味な音がして、ジャイアンが外を警戒するシーンをカット(記憶違いの可能性有り)
・元の作品では、ペコは船の中で日本語を覚えたと説明していたが、リメイクではカット。
(それだと、けっきょくバウワンコの人たちは何語で喋ってんだよってことになるし)
・バウワンコに行ってから描写がちょっと増える、チッポの両親の出番が増える。
・ペコ、チッポ、ダブランダー以外のバウワンコの人たちの容姿が変わった。
・なぜか、バウワンコに入ってもペコがずっと裸のまま。服を着るのは巨神像に向かう前だったかな?
(元の作品だと、バウワンコに入ったらすぐにペコは服を着た)
・兵士ふたりの出番が追加。(ゲスト声優の役なので)
・馬車を調べられるシーンが追加。
(これのおかげで、サベール将軍が悪人ではないということが描かれるのでかなり正解)
・空飛ぶ船と火を吹く車の造型が変わった。
・爆撃の中、巨神像へ向かうシーンの方向が左から右へ進むように変更。
・サベールの相手がペコからのび太に変わった。決着ものび太がつける。(歯車はなし)
・船のドリルがなくなり、遠吠え砲になっている。
・「巨神の目を狙え」の台詞をカット(『伝説巨神イデオン』のパロディ)
・ダブランダーを追い詰めるとき、ペコが生きていたことを知った国民が奮起する。
・『先取り約束機』との約束を果たすため、食事とお風呂シーンを追加。
・ペコとの別れをちょっと感動的にする。
・冒険が終わった後「大人になっても、こんな冒険できるのかな」という台詞の追加。個人的には、かなりなマイナス点。
(理由はこちらの感想を参照⇒『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』感想。


まいどおなじみ、来年の予告は今回もあった。
ドラちゃんの首に星がくっついて、スーパーマンっぽくマントをつけていたけど、どういう映画になるんだろう?

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感想リンク。
『ドラえもん のび太の大魔境 』感想。
『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』感想。
『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』感想。
『ドラえもん 新・のび太の大魔境 ~ペコと5人の探検隊~』感想。
『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』感想。

『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』感想。

藤子・F・不二雄作品感想
04 /07 2013


花粉症もぼちぼち治まってきたので、映画館へ見に行きました。
『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』の感想です。
今回は、めっちゃくちゃ面白いぞー!

去年の作品(感想)がアレだったこともあり、今年はどうなることやらと不安八割で見に行ったものの、新版のドラ映画で一番面白い作品になりましたとさ。
というか、藤子・F・不二雄先生、存命時の作品にも匹敵する面白さだったよ、これ。

『奇跡の島』の感想では、あらすじまでバッチリ書いてしまったものの、今回はネタバレをしたくないので(ぜひ、見に行ってください!)面白かった部分だけをざっと紹介します。

・ひみつ道具の使い方がとても上手い。
タイトルにもあるけど、今回の影の主役はひみつ道具だね。扱い方がとても上手かった。
作中で道具を色々出すんだけど、それがちゃんと物語の中で活用されていた。

『ガリバートンネル』を使ってジャイアンとスネ夫が小さくなるんだけど、それによってある人物への疑惑が生まれたり、アクション面での活躍が増えたりなど、『小さい』という状況を使って、物語を進めている。
それ以外にも、クルトが作った『びっくりライト』を出すための状況を作り出しているなど、とても上手い。

お話を進めるための使い方以外でも、怪盗DXと警部との対決も見所のひとつ。
『手投げミサイル』相手に『ひらりマント』を出すなどして、相手のひみつ道具に対して有利な道具を出すことによって千日手の状況を作り出すなど、とても面白かったな。

個人的には、『芝刈り魚』の使い方が気に入っていたり。
この道具は、原作の『ガラパ星から来た男』でも重要な道具だっただけに、今回のあの出番にはけっこう満足。


・ミステリとして、とても丁寧。
子供向け推理ものとして、かなりの高水準。
これ、下手したら大人も騙されるんじゃないかというくらい、とても丁寧な作りをしていた。

さすがに、大人が見ればそれなりにわかりやすい作りになっているものの、その謎の出し方が上手い。
Aが怪しいという要素を出しつつ、いやいやBが怪しいぞという雰囲気を出しておくなど、動機やら行動によって犯人候補を何人も用意する。
そうやって、容疑者のほとんどが怪しくなったところで解決編。
ひとりひとり犯人候補から除外して行き、最後の最後で足元をすくうという、ミステリの正しいプロセスを踏んでいた。

いわゆる、ミスリード(ミスディレクション)が上手いんだね。
真犯人Cではなく、容疑者AやBが犯人だと思わせるという風に、ちゃんと観客を導いてくれた。
下手くそなミステリだと、この手順が省略されて「はい、意外な犯人です。驚きました?」になってるからね。
ちゃんと、一歩一歩進めてくれないと、驚きも半減するってもんよ。

そのミステリの解決編にしても、ある部分がとても気に入った。
(※ ネタバレというほどではないが、いちおう伏字 ※)

その人には犯人らしい要素がないものの、証拠があるから犯人だ。というミステリとして必要不可欠な手順を踏んでくれたところ。
当たり前といえば当たり前なんだけど、これがあるかないかだけで、面白さがかなり変わるからね。


(※ 伏字終了 ※)


・押し付けがましくない感動が好印象。
今回は、ドラえもんとのび太のちょっとした思い出がエピソードを彩っていた。
作中での「数年前」にはかなりツッコミたいけど、(ドラえもん、いつからのび太の家にいるんだよ!)そこはサザエさん時空ということで目をつむりましょう。

名指しでバカにして申し訳ないのだが、去年の映画『奇跡の島』では、内容にまーったく無関係な『ぼくの生まれた日』のエピソードが挿入されていたけど、今回のとは雲泥の差だね。
あっちのは冗談抜きで話に絡まず、スーパーお説教タイムで終わっていただけに、『ひみつ道具博物館』の上手さが際立ったよ。

具体的に言っちゃうと、
(1):のび太の良いところとして、友達のためなら諦めずに最後まで行動するということを、ドラえもんの回想で出す。
⇒その回想が、ドラえもんの行動の理由になっている。
(2):ゲストキャラであるクルトにも、失敗しても諦めないという性格を与えている。
⇒この性格が、クルトの行動の理由になっている。
(3):それらの『諦めない』という気持ちが、最後の解決部分に活用される。

というふうに、ひとつのちょっとしたエピソードが、後々の大事な展開に繋がっている。
いわゆる、伏線というやつだね。ひとつの展開の二重活用。
良い話をそれだけで終わらせるんじゃなくて、ちゃんと物語を進めるときにもう一度出したり、困難を解決するために使ったところが上手い。


・半径100Mの世界を守っている。
事件の真相のスケールの小ささも素晴らしかったのだが、のび太たちの無力さがじつに見事。

『ドラえもん』の面白さのひとつに、のび太たちは道具を使わないと何も解決できない子供、って部分があると思うんだよね。
当然といえば当然なんだけど、ひみつ道具さえ使ってしまえば、たいていの映画の問題は解決できちゃうから。

クラスでビリから二番でも、道具を使えばスーパーマン! 

というのは、『パーマン』の歌でも唄われていることだけど、『ドラえもん』でもそれは変わらない。
いくらジャイアンの力が強くても、大人どころか中学生相手にも勝てないし、相手に攻撃の意思があればあっさりと負けてしまう。これは、原作の『ドラえもん』や、過去の劇場版で描かれてきたことだ。
だからこそ、ひみつ道具を使ったときに、その便利さと強さがよくわかるんだよね。

そんな便利すぎるひみつ道具だから、過去の作品ではポケットが奪われたり、ドラえもんが壊れちゃったり、道具を無くしたりと、色々な理由で使わせないようにしていた。
今回も、道具がとある理由で使えなくなってしまうんだけど、最後の最後に大盤振る舞いがあるんだよね。
ここが、とても上手く『ドラえもん』映画の面白さを描いていたと感じられた。

下手なドラ映画だと、そんな無力なのび太たちが道具を使わずにやたらと活躍したり、またはゲストだけが活躍して辟易とするんだけど、今回は違う。ちゃんと、秘密道具に頼り、それによって事態を解決してくれた。

そうそう、それでいいんだよ!
この、「ひみつ道具ってすげー!」ってのは、巨大ロボものや、特撮ヒーローものにも繋がる面白さだよね。
ラストシーンで、秘密道具を使ってどうにかして事態を解決しようとするところなんて、目が離せなかったもの。


こんなところです。
まさか、この歳になってドラ映画でここまでワクワクできるなんて思わなかったよ。
子供のころに見たときと同じような感動が蘇ったというか、なんというか。
単純なワクワクドキドキという意味では、ここ最近見たアニメ映画のなかでもかなりのレベルです。これ、もう一回見に行きたいなあ。

来年は『大魔境』のリメイクっぽいですね。
これまた、元の作品はメチャクチャ面白い傑作なので、来年の映画も楽しみにしとこうっと。

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感想リンク。
『ドラえもん のび太の大魔境 』感想。
『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』感想。
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『ドラえもん 新・のび太の大魔境 ~ペコと5人の探検隊~』感想。
『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』感想。

fujimiti