FC2ブログ

『ザ・マジックアワー』

映画感想
12 /28 2011
ザ・マジックアワー スタンダード・エディション [DVD]ザ・マジックアワー スタンダード・エディション [DVD]
(2008/12/03)
佐藤浩市、妻夫木聡 他

商品詳細を見る
(注:『ザ・マジックアワー』と『サボテンブラザース』のネタバレを含みます)



録画していた『ザ・マジックアワー』を見る。
すでに劇場で一回見ていたので、これで見るのは二回目。やはり、面白い。

設定から察するに、本作は『サボテン・ブラザース』のオマージュである。
『サボテン・ブラザース』でも、役者がかん違いしたまま話が進み、途中で自分が大きな事件に巻き込まれたことに気付くという構成になっている。
はじまりこそ似たようなものだが、味わいはまったく別物となっている。

『マジックアワー』のお話はご都合主義満載で、お世辞にも上手い脚本とは思えないし、映像としても役者が立って喋るだけで、映画的手法が使われているようにも感じられなかった。
それでも、この作品は胸をはって、面白かった! と言い切ることができる。
その理由はひとつ。『マジックアワー』は、フィクションを貫いてくれたからだ。

『サボテン・ブラザース』は真面目な物語に虚構を混ぜてユーモアにしているが、『マジックアワー』では、虚構を中心にしてそこかしこにシビアな世界を落としこんでいる。構造がまったく逆になっているのだ。
『マジックアワー』の冒頭は、ギャングや情婦というおよそ日本とは縁がなさそうな設定が多数登場する。
登場人物も「映画のセットみたい」と口に出すように、どこまでも虚構だらけの町。その町の人が助けを求めるために白羽の矢を立てた役者、それが村田だ。

この村田だが、彼のシーンに移ると、とたんにそこが日本へと早変わりする。
映画のセットがあり、携帯電話に喫茶店まである。どこにでもありそうな、ごくごく普通の日本だ。
現実の日本に住む村田は、オーバーな演技がうそ臭すぎて受け入れられず、売れない役者に甘んじている。
このシビアな現実を村田に突きつけることで、現実と虚構に明確な線引きをしたのだ。
そして、舞台は虚構の町へ移り、あのラストシーンにまで進んでいく。

あの、というのには理由がある。誰が見ても、問題が山積みなラストシーンだからだ。
これは、間違いなく賛否両論があるだろうし、リアリティがないと思い、怒って映画館を出て行く人がいてもおかしくない展開だ。もちろん、このシーンは手放しで絶賛できるものではないが、絶対に評価できる箇所がある。

それは、死人がひとりも出ていないという部分だ。

本家『サボテン・ブラザース』だと、正義の味方に間違われた役者は、途中から本当に正義の味方になり、村人と共に悪漢どもを撃ち殺していく。
ところが、『マジックアワー』では、主人公は最後の最後まで役者を貫き通し、ギャングどもを演技と特殊効果で騙しぬくのだ。
いままで、誰一人見向きもされなかった村田の演技が、はじめて世間に通用した瞬間。これをカタルシスと呼ばずして、なんと呼ぶ。

本作は村田という、現実にいる存在が、ふとした拍子でご都合主義な映画世界に迷い込み、そこで主役を演じたお話だったのだ。
言ってしまえば、現代の童話。物語はすべて、村田を中心にして回り、彼の都合が良いように展開していく。
最後まで人工美を貫いてくれたこの作品はやはり、とても面白いフィクションだったと言っていいだろう。
スポンサーサイト

fujimiti