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雑記:「ライトノベルミステリで本格ミステリ度が低くなる理由についての雑感。またはゲームものとライトノベルの相性の良さについての覚書き」

雑記
09 /29 2016
偉そうなことを承知で自分なりにライトノベルミステリがなぜ流行らないのかを考えてみる。
そもそも出発点として本格ミステリがマイナージャンルであるということも関係しているのだろうが、なによりも本格ミステリの構造はライトノベルと致命的に相性が悪いことが関係しているのだろう。

ライトノベルの定番ジャンルとして「バトルもの」「恋愛もの」「学園もの」の三本柱がある(いま考えた)
この三つはどれもミステリと組み合わせることは出来るものの、もしそれらに本格ミステリ的な謎解きを加えようすればどうしてもその持ち味が弱くなってしまう。

バトル描写を作中に組み込めば謎に突き進む速度が鈍る。それは学園青春ものにしてもラブコメにしても同じことで、恋愛や部活や勉学などにページを割いてしまうとどうしても謎を解決する速度が鈍ってしまう。

本格ミステリは、作品すべてが謎に奉仕することによってその純度を限りなく高めようとしている特異な小説のことだ。
ゆえに、作品に「謎解き」以外の要素を入れてしまうとすべてが不純物になってしまう。

しかしライトノベルの場合は「謎」という問題を解くのと同時に、キャラクター小説として「登場人物」たちの物語も進めなければならない。
「謎」だけにページを割くことが出来ないので、どうしても謎解きの純度が下がってしまうのだ。

そのため、多くのライトノベルミステリは本格ミステリとしては純度が低いものと言わざるを得ない。
そう感じるのは、自分がミステリレーベルから出版される作品も多くはライトノベルと大差ないものだと考えていることも関係しているのだろう。

ミステリレーベルから出版される作品もその多くはキャラクターを強調し、読者を楽しませることを第一としている。
このあたりのサービス精神は方向性こそ違えどライトノベルと何ら変わらないものだと感じている。

とまあライトノベルではミステリが流行らないというような論調になってしまったが、実のところそうではない。本格ミステリに拘らなければ、ライトノベルでもミステリは十分に通用する。
なぜならば、広義のミステリには「ゲームもの」という知的ゲームサスペンスも含まれているからだ。

ライトノベルでは『ノーゲーム・ノーライフ』がいま現在はもっとも有名なゲームものだろう。これが現在進行形で大ヒットしていることは言うまでもない事実だ。

なぜライトノベルでは本格ミステリが流行らないのに、ゲームものでは成功を収めることが出来るのか。
自分なりに考えたところそれは、

「謎を解いた瞬間に敵を倒す」

ことが出来るからだ。

『ノーゲーム・ノーライフ』はその中でも顕著な例だろう。
これはゲームによってすべてが決まる世界であるため、相手から出されたゲームに勝利すれば生殺与奪すべてを手に入れることが出来る。
極論すれば、じゃんけんに勝っただけでも相手の金や命どころか国すらも手に入れることが出来るのだ。

この設定はラノベミステリの中でも特筆すべきものだろう。
ラノベミステリは「謎解き」と「その他のジャンル」が合わさることによって謎解きの純度を下げてしまった。
「謎解き→バトル」というように、謎解きが前座、または逆にバトルが謎解きの前座というようなどっちつかずな扱いになるからだ。

しかし『ノーゲーム・ノーライフ』ではそうはならない。
敵を倒す方法を模索し、戦いに勝利した瞬間に作品における「謎」と「バトル」が同時に解決し、問題が決着する。
謎解きという本格ミステリのカタルシスと、相手に勝利するというバトルもののカタルシスが同時に味わえるのだ。
(ちなみに、これは漫画では『ジョジョの奇妙な冒険』などでも扱われている手法である)

個人的には本格ミステリに関しては保守派ではあるものの、広義なミステリに関してはどこまでも範囲を広げても構わないと思っている。
(例:『ジョジョの奇妙な冒険』などのバトルものや『マリみて』などの日常&恋愛ものなども十分ミステリの範疇に含まれている)

極論すれば、伏線があり、解決編に盛り上がりの最高潮が用意されていればすべてがミステリだ。
なぜなら、ミステリはジャンルではなく、手法だからだ。
これはホラーやサスペンスがジャンルであると同時に手法であることと何も変わらない。

とまあ、このあたりが個人的な見解ではある。
かなり異論反論はあるでしょうが、自分としては昔からこのスタンスでミステリを読んでいますので。



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感想リンク。
「本格ミステリ度とは何かについて。『名探偵コナン』を例に」
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