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『BEATLESS』感想。(ネタバレあり)

ミステリ・SF感想
12 /25 2012
BEATLESSBEATLESS
(2012/10/11)
長谷 敏司

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傑作SFボーイ・ミーツ・ガール『BEATLESS』のネタバレ感想です。
長々と書いてきた『BEATLESS』の感想ですけど、これで一区切りにする予定です。

さて。ネタバレ感想といっても、いままで何回も感想を書いてしまったので、あとはもうちょっとしたコメントを残すだけかな。
作品のオチに触れた感想にしますので、伏字にしておきます。

(※ 作品のオチについてほのめかす部分があるので、本編を読了していない人は絶対に読まないでください。 ※)

さまざまな魅力が混ざり合った『BEATLESS』だったが、やはり一番印象に残ったのは、ロボットとの恋愛という部分だろう。
このジャンルとして稀有な、『ロボットをロボットのまま愛した』作品だった。ロボットものとして、新たな境地を開拓したね。

ロボットものの作品のオチというのは「思い出があるから、もう人間と同じだ」というロボット=人間という結論に達するものが大半だ。
『To Heart』だと、ヒロインのマルチは量産型メイドロボなのだが、EDではご丁寧にボディから記憶まで主人公と付き合っていたときのものと同じものにしてくれた。
これは、彼女は量産品だが、その体と思い出が何より大切なもの、つまり、彼女は雑多の品物ではなく、世界にひとつの宝物である、ということだろう。

このように、ロボットとの恋愛というのはやはり、彼女をどこまで人間として考えるか? 人間に近づくことが出来るか? という部分に主眼が置かれやすい。恋をするのは人間なのだから、彼女を人間として扱いたい、ということなのだろう。

だが、『BEATLESS』の主張は違っていた。
人間の生活には、機械があって当たり前になっている。だから、機械であるロボットもまた、人間を構築する一部で間違いはない。
ふたつの関係は、存在そのものはイコールでは結べないが、決して切り離すことのできない隣人になっていた。だから歩み寄り、愛することができる。

ここらへんは、近未来描写が丁寧だったこともあり、納得できるロジックだろう。
これらのロボットとは何か? という定義と、アナログハックのことを読者に理解させたあとのラスト。これはもう、圧巻というしかないだろう。

たしかに、レイシアという存在は消えた。思い出もなくなった。だが、彼女のかたちはある。
もともと、ロボットにはこころはない。あるのは姿かたちだけで、そこにアナログハックされた人間が勝手に感情移入するだけだ。
アナログハックがどれだけ人の心を動かし、そして『チョロい』人間がそれに引っかかりやすいかということは、『BEATLESS』が最初から主張していたことだ。
だからこそ、かたちでしかないレイシアはいくらでもいるロボットであると同時に、アラトのかけがえのない恋人になれるのだ。

この展開には、「こういう終わり方もあるのか!」と本気で驚いた。
ハッピーエンドにするなら、ふたりは再開しなければならない。それが、ボーイ・ミーツ・ガールの鉄則だ。どれだけご都合主義になろうが、悲しい別れにするよりは百万倍もマシだ。
おそらく、数多くのエンターテインメント作家は、結末にどれだけご都合主義を削るかで苦心していることだろう。それほどまでに、少年と少女が中心となった物語にとって、『彼と彼女』は重要であり、悲恋はタブー。それだけで、絶対に認められないものなのだ。

この『BEATLESS』では徹頭徹尾、
「ロボットにこころはない。あるのは、求められたかたちだけだ」
という主張を押し通し、見事なハッピーエンドにしていた。しかも、別れ(ガール・パーツ・ボーイ)まで描いたとは!

個人的に、ボーイ・ミーツ・ガールは少年が少女と出会い、一度は少女と別れたほうが美しいと思っている。
多くのシリーズもののボーイ・ミーツ・ガールでも、少年と少女が離れ離れになるシーンは山場となり、再会はより大きなカタルシスとなるからだ。

しかし、どれだけ盛り上がろうとも、1巻のうちに別れと再会を描くには、どうしてもページが足りなくなると思っていたのだが、『BEATLESS』は成功していたね。これも、650Pという分厚さの賜物か。

この作品を読んでしまうと、いままでのすべてのロボットものの作品が、あくまでも体が機械なだけの人間、もしくは人間として扱っている作品だったことに気付いてしまう。
人間は人間。証明は出来ないが、こころは存在する。
ロボットはあくまでもロボット。とても似ているが、こころは存在しない。
このロボットと人間の絶対的な違いを、懇切丁寧に説明しつつ、それを愛することができるアラトを出すなど、どこまでも美しい構成の物語だった。

ラストのアラトの行動に共感できる人間でなければ、新しい世界に進めない。
幼年期を過ごしている人類には難しすぎる答えであり、数百年後では当たり前のラブストーリー。
まさに、SFボーイ・ミーツ・ガールの傑作だ。

余談でしかないのだが、『BEATLESS』の発売と同時期に放送していた『武装神姫』の6話で、主人公は同じ形の姫神(小型ロボットのこと)の区別がついていたなあ。『BEATLESS』はそれを、真っ向から否定しているよね。
そういう意味でも、この『BEATLESS』が既存のロボットものから、どれだけ王道を外し(それでいて、展開そのものは王道そのまま)て進めようとしていたのかがわかるね。
偶然とはいえ、面白いタイミングでふたつの作品に出会えたものだな。今年のいまというこのときに、『BEATLESS』という傑作に出会えたことを感謝したい。


(※ ここからは、『BEATLESS』のネタバレはありません。 ※)

個人的な偏ったイメージなのだが、日本のアニメや漫画などだと、ロボットものは「ロボット=人間と同じ」という結論になりやすいような気がする。
これは『鉄腕アトム』と『ドラえもん』が日本人にかなりの影響を及ぼしている、という主張もどっかで聞いたことがあるな。彼らは立派な心を持った、すばらしき友人だからだ。

この呪縛は、ハードな作風の『攻殻機動隊』でも変わらない。
人間と機械をわけるのはゴーストと呼ばれる魂だけど、機械でしかないタチコマにもそれが宿ったのかもしれない……と、機械と人間の違いはなにか? という疑問に踏み込んでいる。
『銃夢』でも、主人公が生身の脳にこだわったりと、人間と機械の違いに踏み込んでいる。
『鬼哭街』でも、人間の記憶をすべて機械に移したとき、それはもう器が違うだけで同じ人間なのではないか? という問題を扱っていた。

これが海外のSFだと、けっこう事情が異なっている。あまり詳しくないので恐縮だが、知っている限りの作品で例を出してみよう。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は、ロボットと人間の違いについて疑問を出すような作品であった(映画の『ブレードランナー』も同じだ)これは、上記であげた日本の作品と同じことだろう。

しかし、アシモフの『われはロボット』などの、一連のロボット作品ではだいぶ違う考えを示している。
機械は人とはまったく異なる考えを持ちながら、人間という生き物についてある種の理解やら哲学を持っている。人と機械は、どこまでいってもまったくの別物であるという作品になっているのだ。
(まあ、『バイセンテニアル・マン』と、それの映画版の『アンドリューNDR114』だと、ロボットに人権を認めさせる作品だったけどね)

この、ロボットは人間とは別物である、という考え方は、現代作家でも山本弘などが受け継いでいる。
山本弘氏の『アイの物語』や『去年はいい年になるだろう』などでは、ロボットと人間の絶対的な違いを描いていた。
ロボットは人間が作ったものだが、そこに人工知能を搭載すると、まるで異星人のような独自の考え方が芽生えてしまうのだ。

そういう意味だと、『BEATLESS』はやはり、海外のハードSF的なロボット観と近未来設定の舞台を、ライトノベルの文法で描いた物語だったのだろう。
両者の作品を多く書いている、長谷敏司先生だから出来た傑作だったね。


これで、長々と続いてきた『BEATLESS』の感想もおしまいです。
読み終わって半月ほどたっても、今年一番どころか、自分の中でオールタイムベストになるほど好きな作品だと、胸を張って言えるほどお気に入りです。
おかげで、今年はもう小説を読まないでも満足できちゃう、って状態だよ。

また、何か思いついたら新しく感想を書くかもしれませんけど、とりあえずは一区切りです。同じ本についてこれだけ長く感想を書くなど、なかなかに貴重な経験だったな。
飽きずに読んでくれた人がいたのなら、感謝します。それでは。

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感想リンク。
『BEATLESS』感想。+ジャンルを『終わらせた作品』について。
『BEATLESS』感想。(ネタバレなしの作品紹介)
『びーとれすっ』感想。
『BEATLESS』感想。SFとしての面白さ、アナログハックについて。
・アナログハックと『ターミネーター』について。
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