『涼宮ハルヒの消失』感想。ライトノベルとして見た場合の面白さ。

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)
(2012/09/01)
谷川 流

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(2012/09/01)
谷川 流

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年末年始に、『涼宮ハルヒの消失』(以下、『消失』)の劇場版アニメを見返した。
何度観ても文句なしの傑作なので感想を書きたいのだが、どうにも面白い要素てんこ盛りなのでとっちらかってしまった。
『消失』の感想を書こうとすると、どうしてもシリーズ全体の感想になっちゃうんだよね。

というわけで、『消失』のみならず、『涼宮ハルヒの憂鬱』(以下、『憂鬱』)を含めた感想にしちゃいます。
文章量が多くなりそうなので、ライトノベル(ボーイ・ミーツ・ガール、青春)として見た場合と、SFとして見た場合という、二種類の感想にする予定です。

なお、これからの感想には『憂鬱』や『消失』のネタバレが予告もなく入ると思うので、未読・未視聴の方はご注意ください。

まずは、ライトノベルとして見た場合の面白さについて語ってみよう。
『涼宮ハルヒ』シリーズは、ボーイ・ミーツ・ガールとして非常に優れた構造をしている。
このボーイ・ミーツ・ガールというのは、読んでそのまま少年が少女と出会うだけでは完成しない。少年が少女を意識した瞬間に、初めて成立するものだ。
(これは前に、秋山瑞人著『龍盤七朝DRAGONBUSTER』の感想を書いたときにも記した(感想リンク))

『ハルヒ』シリーズでは、『憂鬱』でも『消失』でも、その相手を意識した瞬間を丁寧に描いている。
『憂鬱』では、閉鎖空間の中で、キョンにとってハルヒとはどういう存在なのか? という問いを出し、ひとつの答えを出している。
作中では、その答えについて明確には語られていないのだが、個人的には『ちょっと気になる女の子』くらいだと思っている。そうでなくては、わざわざ変な女に声などかけないだろうから。

これは何もキョンだけではなく、ハルヒ側も同じような状況にある。ボーイ・ミーツ・ガールとは、少年が少女に出会うと同時に、少女にとってもかけがえのない少年と出会う物語なのだから当然だ。
(この、ハルヒの側から見た場合の感想については、後日書く予定です)

ボーイ・ミーツ・ガールとして丁寧であり優秀な本作だが、ライトノベル、それも『青春』を扱ったジャンルとしても、『ハルヒ』シリーズは非常に優れたものとなっている。
個人的に、このボーイ・ミーツ・ガールと青春というふたつの要素は、ライトノベルだからこそ描ける二大ジャンルだと思っている。出会いは美しい物語の条件であり、青春は若者の特権だからだ。
『憂鬱』と『消失』では、上記のような『意識した瞬間』(ボーイ・ミーツ・ガールだ)以外にも、青春ものとしての重要な要素である『少年が一歩を踏み出した瞬間』を丁寧に描いてくれた。

青春ものというジャンルは、いままで行動してこなかった(できなかった・やらなかった)少年が一歩を踏み出した瞬間に、感動が待ち受けているのだろう。
最近アニメ化された『氷菓』でも、1巻の『氷菓』では王道そのままに、少年が一歩を踏み出した場面を描いた。2巻『愚者のエンドロール』では踏み出した先に茨の道が用意されていることを描き、青春の苦さを味あわせてくれた。

また、青春・セカイ系ライトノベルの傑作である『イリヤの空、UFOの夏』は、このわずかな一歩を踏み出すために、丸々4巻分も費やしたことは記しておくべき事柄だろう。
大人の目からすればほんの些細な、じつに取るに足らない決断を下すために4巻分、作中時間で数ヶ月もの日数が必要だった。それだけ、若者にとって一歩の重さというのは計り知れないものなのだろう。

この構造は、『ハルヒ』シリーズでも似たようなものになっている。
『憂鬱』から続き、退屈やら溜息などで、キョンは八ヶ月あまりも傍観者を気取っていた。
そんなキョンが、ようやく己の立場をわきまえ、世界の中心になることを選んだ。それが、『消失』という物語だ。

この一歩を踏み出した瞬間というのは、『憂鬱』ではハルヒへの告白であり、『消失』ではどちらの世界を選ぶかという選択と、その先にある長門やハルヒとの関係の変化を指している。

事件とは無関係な傍観者=読者と同じ立場から、物語を動かすことが出来る主役となる。
まさに、セカイ系SFから、ヒロイックサーガ(英雄叙事詩)へと少年が踏み出した、非常に大きな一歩だろう。その瞬間を、これでもかという感動とカタルシスで描いているのが『消失』だ。それゆえに、『消失』はライトノベル(ボーイ・ミーツ・ガール、そして青春もの)として傑作なのだ。

一見すると、ハルヒのトンデモ能力や、長門や古泉の能力のほうが物語の中心になっているようだが、その実、『憂鬱』のころから、物語の中心はキョンだった。
主人公はあくまでもキョンであり、世界を変える力を制御できるのも彼しかいない。奇跡とはいつだって、少年が一歩を踏み出したときに起きるものなのだから。

ライトノベルとして見た場合のの感想は、これくらいです。
明日は、SFとして見た場合の面白さについて語ってみたいと思います。

――――――――――――
感想リンク。
『涼宮ハルヒの消失』感想。SFとして見た場合の面白さ。+傑作の条件。
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